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なんとなく、自分の気持ちを飾ることなくただひたすらに書きなぐりたくなった。
クソみたいな文章になる予定なので、そのうちこの記事は消えるかもしれない。

それでも書いてしまおうと思う。

生きていることを当たり前だと思っている時っていうのは、死に対する抵抗力を持ち合わせていない時。
金を稼ぐために夢中で仕事していた時。

夢中って言っても朝から晩までがむしゃらに働いていたわけじゃない。ブラック企業に勤めていて、目も当てられないほどの残業時間に苦しんでいたわけでもない。

ただ、自分が嫌だなと思いながらも続けていただけの仕事。特に何も考えることもせず、朝起きて、コーヒーを飲み、まだ誰も出勤していないガランとしたオフィスに自分だけがデスクにつき、なんとなくパソコンの電源を入れる。

いつもと変わらない、見に染み付いてしまったログインパスワードを入れてデスクトップ画面が現れた時から、夕方18時の定時になるまでの記憶はいつもあんまり残っていない。

ただなんとなく、その一日を「消化」しただけの時間。自分の命はその分削られたなどということは考えもしなかった。

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週末を迎えるとただのストレス発散と子供の相手をして少しばかりの義務を果たしたような気になり、また嫌な思いだけの月曜日を迎える日々。

そんな生活を社会人になってからずっと送ってきた。

もう20年ほどになるだろうか。

途中、幾度と会社を辞めては何か他の道を探そうとふらふらと休みを取りながら考えてはいたが、なんの結論も出ないまま結局最後に「金(カネ)」。

金の工面がついた時の安堵感と言ったらそれはもうたまらない。それまでのオレはその瞬間が「生きた」と思える時だった。本当はそんな時はただ、また以前の消化するだけの時間に戻っただけのことだったのに。

つまり、命をただひたすらに削るだけの時間を再開していたということ。



今から2ヶ月前、ぼくは7ヶ月ほど勤めた会社を辞めた。会社員だった時代はなんどもいうようにただ「命を削る」だけの時間。
それが、会社を辞めてから家にいて、同じく夏休みに入って家にいる子供や、仕事に行くまでの妻と一緒にいる時間。旅行に行った時の時間は、それまでには感じられなかった幸福感があった。

家にいる間、掃除や洗濯、子供の朝食づくりなどある程度の家事をするが、それの充実感たるや。金は稼げるが命を削るだけだった仕事をしていいた時に比べたら、それこそ「生きている」という実感の度合いに格段の差がある。

金にならない家事などに、さほど価値なんてないというのがぼくの以前からの考えではあるけど、今自分がしていることにもやっぱり価値は感じないが「生」は感じる。それはぼくが仕事を辞めなければ感じられなかったことだろう。


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仕事を辞めてから、意識していなくても自然と入ってくる情報が増えた。そして、その鮮度も抜群。
自分が知っている有名人や、同じ世代の人が亡くなるというニュースにやたらと感心を持つようになった。

「人は死ぬ」

あたりまえのようで、本当に実感できている人はいない。なぜならみんな今は生きているから。だけど、「意識」することはできる。

でもそれは人にとっては残酷な現実だ。まだ死ぬことがなんなのかすらわからないけれど、それでも自分が今していることやこれからやろうとしていること、やりたいと思っていた事が出来なくなるのはわかる。

自分のしたいことはなんなのか?

自分はこの自分が生きる世界に、何か価値のあることが出来ているのか?

妻と、子供に、ぼくがこの世から去った時に、自分たちでぼくのいない世界でまた幸せに生きていくことができるようにしてあげられるのか?

ぼくは、余命宣告を受けたわけでも、何か健康に問題を抱えているわけでもない。おかげさまで至って健康体だ。
それでも命がいつなくなるかなんて誰にもわかりゃしない。


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人って、絶対、ホントはなんでもできるんだよ。
やりたいこと、やりゃーいいし、やりたくないことなんか、やらなくていい。
自分がやれることなんてきっといくらでもあるんだろうけど、先に生きてることを考えると、途端にやる気がなくなっちゃう。

「今やんなくてもいーか」って。

それに、「どーせオレにできることは何もない」って思ってる。ぼくもそう思ってる。

「自分になんて大した価値はねーよ」って。

だけどさ、妻に聞いた。

「オレが家にずっといて楽しいか?」って。

そしたら楽しいって。幸せだっていうんだよね。本心か知らないけど。

娘にも聞いた。

「お父さんが家にいるの楽しい?」って。

そしたら楽しいって。おかしいとは思ってんのかもしれないけど。

それで、ぼくも幸せなんだよ、悲しいことに。

家に居て、家事をして、子供の様子見て、夜寝る前と朝に妻のマッサージして、みんなが楽しそうにしてんのを見てんのが楽しいし、幸せなんだよ。

だけど、それだけじゃ生きていけない。それもわかってる。だったら自分にできることってなんなのか?
妻と、子供と、一緒にずっと幸せに生きていくためにどうしたらいいのか。

ぼくが誰かに与えられるものってなんなんだろうか?

自分が生きている間にだれかの一生に関われるとしたら、どんなことで助けられるだろうか。


人を、幸せな気分にしてあげたい。

一生懸命何かに向かってやっている人はそれだけで尊い。
誰に褒められるでもなく、毎日ひたすら黙々とやっているような人にこそ、そういう幸せを感じる瞬間が必要なんじゃないかと思ってる。


最近わかったこと。

人は本気で好きになったことって誰かに聞いてもらえるだけですごくうれしいんだなって。ぼくは、そんな人たちから話を聞くのが好きだ。

言ってみると、みんな何かの「オタク」なんだよね。
バカみたいに好きで、バカみたいにその勉強して、バカみたいに毎日毎日そのことばっかりやってる。
そんな人に、そのこと聞いてあげると、めっちゃうれしそうに話をしてくれる。その人の「生」を感じる。

「この人は生きてるんだな」って。

オレがイヤイヤやってた仕事なんかとは違ってさ。

だからね、みんなの話、聞ける方法をちょっと考えてみるよ。



あなたのその話、よかったら聞かせてくれない?