ちょっと昨日、会社やめてきた。
ぴこつです。
2018年7月15日。
地元の小さなIT 会社を退社しました。
正社員として入ったのが2017年10月16日なので、9ヶ月ですか。
短かったようで、長かった。
それ以前にもその会社とは何ヶ月か在宅でフリーランスとしてお仕事させてもらってたんですが、 正式に会社員として雇ってもらってからというもの、やっぱり色々ありましたね。
というか、ぼく自身がもうここ10数年のほとんどをフリーのエンジニアとして『会社』 という組織には属さずに生きてきたので、やっぱりなんだか息苦しかったのかな。
でも、今あらためて思い返すと他にいくつもの要因と気づきがありました。
自分の気持ちの整理も兼ねて残しておきます。
「アットホーム」は完全なアウェーだった
ぼくがいた会社は 小さなIT会社 だと書きました。そこではよく言うアットホームな雰囲気が漂っていました。ただそれは仲がいいとも違いますね。
なんかね、表現が難しいんですが、田舎の家族みたいというんでしょうか…いる人それぞれの特徴をみんな互いに知っていて、別にあまり関心がない。
一日中、普通の声量でネガティブな独り言をつぶやいている好青年。
ほとんど自席におらずいつもどこで何やってるのかよくわからない社長。
人はいいけど病的で毎日何かしらの薬を常用する女性社員。
などなど。
それらすべてが彼らの中では当たり前のことなんですね。
外から突然やってきたぼくはそれがなんとも異様な光景で、はっきり言って戸惑いましたw
部屋も狭いから席もすぐ近くですし。その中に入ってそれをぼくの中でも「当たり前」としていくことが難しかった。
ぼくが気にしすぎなのかもしれませんが、とにかくものすごく落ち着かなかったな。
昔ながらの会社体質
田舎、というのもあるのかもしれません。取引先も古くからある工場や、大手でも老舗企業なので、とにかく習慣がめんどくさいことばかり。
ふつうにオフィスの電話がバンバン鳴ります。そしてこちらからも連絡手段のメインは電話。
メールは送れます。でもね、全然帰ってこない。そして送ってから2、3日後に電話をして「メール見てもらえましたか?」って聞くんです。
「自分は何をやってるんだろうか」って気分になりますよ。
それから、本当にめんどくさかったのが客先との打ち合わせです。絶対にメールでなんとかなるでしょ?ってことでも「打ち合わせでしか確認できない」と言われてしまう。
そしてその客先、車で片道2時間ですよ。普通にあり得ないでしょ。打ち合わせするだけで一日が潰れるんです。身も心も消耗しっぱななし。
その一日は自社に帰ってきた時点で、ものすごい疲労していました。
でもそういった連絡手段が電話とか、ムダな打ち合わせで遠征するとかはぼくだけではありません。
社内ではそれが当たり前のように毎日行われていました。
会社員が将来への不安を抱く、上司のすること。
・しょっちゅう電話をしている。
・自分との会話中に電話に出る。
・同じところに何回も出張に行く。
・安易に「オレも手伝うから」という(実は丸投げ)
・進捗を報告すると金の話しかしない。
・自席でため息ばかりつく。
・週一で客の接待。— ぴこつ@妻はマンガ家で美容師 (@pikotsub) 2018年6月28日
ぼくは逆にそれに慣れてしまうのも嫌だった。
ホンモノだけが生き残れる時代
というよりも、おもしろいと思えるかどうか、いまの時代においてコレはものすごく重要なことなんだと悟りました。いやコレが全てだと言っても過言ではないでしょう。
テクノロジーの進化はものすごいスピードでやってくる。それについて行くために必要なのは学力というよりもノリの良さ。つまり、「コレはおもしろい!!」と思ってすぐに学習することができるかどうか。
ここで断言します。
おもしろいと思って手を動かし始めることさえできれば、大抵のプログラムは書けるようになります。
あとにも書きますが、この道で20年近くやってきたへっぽこエンジニアのぼくがいうので間違いありません。
確かに、学習するガッツやそれを習得する為の頭の良さなども多少はあります。そりゃ深掘りするならそういった能力もちろん必要です。でもね、プログラムを書いていく上でまず重要なのは、いかに早く作り切れるか なんですよ。
そのために必要なのは〇〇式とかいうウンチクとか、ここの書き方が非効率とかっていう細部へのこだわりではないんです。
「このプログラムはオモシロイ!」
「動いた!」
「よっしゃ次行ってみよ!」
とかっていうノリさえあれば多少、つまづいたとしても突き進むことができる。最後まで作りきることができます。
でも、ぼくにはその「オモシロイ」という感性がなかった。最初はたぶんありました。単純に自分の書いたプログラムが思った通りに動くことで得る感動とかも。
時代は進化していきます。プログラムもどんどん進化しいきます。古いプログラム言語はいずれ使われなくなり、新しく生まれるプログラム言語にスイッチしていく。
プログラム言語だけではありません。それを取り巻くシステムやテクノロジーそのものもどんどん進化していく。
その変化に、ぼくの頭ではついていくことができなかったということでしょう。
いつの日か、プログラムを書いていても「オモシロイ」と感じることがなくなってきていました。それはつまり、ぼくがエンジニアとして生きていく上での限界だったのかもしれません。
詳しいことは書いてもしょうがないので書きませんが、今日のシステム開発においては、ぼくが長年やってきたようなごまかしが効かなくなっています。
新しいものにいかにノリが良く乗っかっていけるか、そして作りきることができるか、それを実現できる、本物のエンジニア だけがエンジニアとして生き残れるんです。
でもそれは決して悪いことではありません。さほど悲観もしてません。生産効率の悪いエンジニアは淘汰されるべきなんです。そうでなければ、イノベーションを起こすことはできないんです。
ごまかしの人生からの決別
ぼくは20年近くの間、エンジニアとして生きてきました。
その間、転職やフリーへの転身など色々と経験をしましたが、そもそもとして、ずっとエンジニアとしては向いていないと感じていました。
今さらですがぼく、
根本的にコンピュータてものが嫌いなんですよ。
はい、元も子もないことを言いました。
はっきり言ってめちゃくちゃ記憶力はないし、論理思考が苦手。
専門用語とか聞きたくないし、覚えられない。
元々持ってる思考回路はね、きっと文系なんだと思います。
あと、上でも書いてますが、「オモシロイ」と思えないんです。これが一番致命的。だからずっとごまかし続けてきました。
知ってるフリをしたり、プログラムもコピペ(コピーアンドペースト)で動けばいいや、みたいに。
そういったことをしている自分も嫌でした。なぜなら全然、楽しくないから。
じゃあなぜ続けてたんだよ?
と言われれば、答えは単純。
お金のためでしかありません。
そんな人生が、嫌になった。わがままだと言われれば、それまでですけどね。笑
全速力で逃げる
でもぼくはね、もう決めたんです。逃亡ですよこれは。しっぽ巻いて、全速力で逃げることにしました。
まぁ自分で言うのもなんですが、限界だったんでしょうね。年齢もある。
ただ言えるのは、
このまま行くことの方が自分にとっては恐怖だった。
お金のためという唯一の目的でこの仕事をやってきましたが、それもなくなるということでもう、
なーんも無くなりました。
今のぼくの「稼げる」という確かな方法を捨ててしまいましたからね。
蓄えとか、保証といったものもありません。
この先どうなるのか、ぜんっ・・・ぜん!見えていません。
ホントのこと言うとね、こんなさらっと書いていながら、しこたま悔しいです。
だけどね、逆に今は吹っ切れた感はあります。
なんもない。だからしばらくは、なんでもやってみる。
きっと今とは別の方向に全速力で逃げた先で、いつかどっかには着くでしょw
でも、その話はまた今度。
今はこれをアウトプットできただけでも、良しとしようと思います。