「#魔法のコンパス」なんだ、そんなところにいたのか。ぼく。今とこれからの自分を見つけた話。
こんな風に・・・
ブログを書きながらも実はずっと考えていました。
それを見つけることもこのブログを書いていた理由の一つです。
そしてその一つの答えを、この本から導き出せました。
「魔法のコンパス」@nishinoakihiro 読了。ブログを書きながら「果たしてぼくは一体何者なんだ」と常々考えていたけど、これ読んでようやく腑に落ちた。そうかぼくは妻のパトロンなんだと。そして自分がやりたいこともここから見えてきた。ドキドキしてきたよ。西野さん。 pic.twitter.com/CCqNK58BGK
— ぴこつ@妻はマンガ家。 (@pikotsub) 2017年7月31日
本著では、『アート系の学生』として、パトロンの存在の重要性に言及をしていましたが、ぼくの妻(niko)もマンガ家なので立場としてはそれに近く、そして同じくお金に関してはさほど興味はありませんでした。
ぼくのプロフィールで書いていますが、ぼくは妻(niko)が「マンガを描く」と言い出した時から、自分がやりたいことを見つけた妻(niko)の背中を押していこうと決めました。
そう決めてから、ぼくは 妻(niko)がマンガを描く為のパソコン、ペンタブレットなど必要なツールを購入して渡してきました。イベントへの交通費、出店費用などもそうです。
正直、自分たちの収入や貯蓄状況を考えた時に、あっさりと出していい金額でもなかったと思います。 それでもぼくはなんか払っちゃったんです。
それは、ぼくが妻(niko)の描く絵に引かれて、「この絵はみんなに見てもらうべきだ」と思ったから。
連載マンガを抱えるようになった今では、資金的には援助する必要は無くなったかもしれないけど、その時の思いは今でも続いていて、こうやってブログも書いています。
この、お金に関する考え方についてはまた別の機会に記事にしようと思います。
ここでは、ぼくが「妻のパトロンである」という自分なりの答えに行き着いたことが、一番の収穫でした。
これを最初にお伝えした上で、ぼくが印象に残った言葉のいくつかをご紹介します。
どんな逆境も「おいしい」と思えるか
逃げるが勝ちとも言える。
どの方向からであろうと、そこに風が吹いていれば「ごちそうさま」で、基本的に僕らには常に追い風しか吹いていない。
たとえそれが向かい風であろうと、それに真正面から強引に立ち向かって行くんではなく、自分の船の帆の向きを変えてやることで、その風を自分が向かいたい方向に向かう推進力にしてしまえばいい。
もしかしたら、いっそのこと背中を向けて逃げるがごとく、完全な追い風にしてしまうことが正解なのかもしれない。
信頼は一番の資産
これからの時代は信頼が資産となり、それはいわば投資の原資となります。
お金を稼ごうとすると、どこから手をつけていいのか迷うけど、信頼の面積を広げると言う風に考えると霧が晴れる。
これは一言ではなかなか答えの出ないところ。ぼくもまだ『なんとなく』です。それは、まだぼくの信頼の面積が極端に狭いからなんだと思います。それどころか、まだぼくが経験している分野が少なすぎる。「1万時間」を費やす分野をこれから見つけるところから始めなければいけない。
解決策が間違っていたと認められるか
いくら頑張っても方向が間違っていたら解決などしない。
イジメっ子のエネルギーを押さえつけるのではなく、別方向に流してやればいい。
一文だけ読んでもなんのことかよくわからないと思いますので、この言葉は「イジメをなくすにはどうするべきか」という西野さんの問いからつながる結論で、詳しい中身は本を読んで欲しいのですが、ぼくが共感した西野さんの見解があります。「イジメっ子にとってイジメとは“娯楽”である」ということです。
周りがどれだけ「イジメは犯罪だ」とか「イジメはやめましょう」とか正論を掲げても、イジメっ子にはピンとこないわけです。本人達にとってはたんなる娯楽、もっというと「暇つぶし」です。そんな子達にしてあげるべきことは罪悪感を植え付けることではありません。
暇を持て余してる相手にすることは、もっと面白い何かを与えることです。ハマることのできるもの。これが親や先生がイジメている側と一緒に考えてあげることなんです。イジメることが「つまらない」と感じるようになれば、イジメなんて自然となくなるんです。
究極の問題に立ち向かう方法
究極にして答えの存在しない問題。それでも考え抜くパワーがすごい。
僕らは戦争を無くすことはできない
これは西野さんが出した答えではありません。この中でタモリさんと「なぜ戦争がなくならないのか」をテーマにした会話の内容が書かれているんですが、西野さんが感じたように、まさしく僕も『背筋がゾクッ』としました。涙が出そうになりました。
それでも、西野さんがそれに対して出した結論がすばらしい。“芸人”として出したその答えに、ぼくは尊敬の念を抱きました。そして、ぼくもそれに賛同したい。
苦しみだらけの作品がいい作品なわけがない
創造に携わる者すべてが考えるべきこと。
100人で作ったほうが目的に近づけるならば100人で作る。
堀江さんの『多動力』にもつながります。ぼくも常々思っています。日本には何もかも一人で嫌いなこと、苦手なことも背負い込んで苦労を重ねて作り出そうとする職人が多すぎる。ぼくの妻(niko)のマンガ業界でも言えること。
他人と同じやり方を続けていたって圧倒的な作品を作り上げることなんかできない。スピード感、クオリティ、どれを取ってもそれぞれの分野のプロフェッショナルが携わったほうがいい作品に仕上がるに決まってる。ぼくの妻(niko)でも、苦手な工程でお手伝いをしていただいているアシスタントの方がいます。
その方達のクオリティは、いつも完璧です。
「面白い」とはなにか
おもしろいと思わせたいけど、人が思う「面白い」はどこにあるのか。
人の動きを読んで、少し先回りして遊びを仕掛ける。
誰もが体験してきたことはもう、面白くない。面白いと感じられるのはその先なんです。人が次に何をするのかを読み、その先でしようとしていることに対して何か仕掛けを用意し、サプライズを演出する。そこには「あっと驚く何か」じゃなくて期待していないちょっとした変化を加えてやるだけでいいんです。
ぼくの妻(niko)はマンガ家だけど、広い意味ではいわばエンターテイナー。 他人と同じマンガを描いていたらそれは当然、面白くない。
読者が期待する展開に加えて、何かが違うと思わせる話が描ければ、それはおもしろいに変わるんだと思います。
終わりに
最初に書いた、ぼくは何者なんだろうって話。あれには続きがあります。
ぼくはこれまで、別のいろんなものに投資をしてきました。自分への投資、株式への投資。特に株式に関しては惨敗です。自分なりに相当頑張って勉強もしました。それでも、現在は株式市場から「退場」させられ、いわゆる負け組になりました。
ぼくは「もうオレがした投資は全部負けたんだな」って思ってました。
でも、この本を読んで、そうじゃなかったって気づいたんです。
ぼくには残ってたじゃないかと。一番、モノになってる投資先が。
妻です。
見返りなど求めていない投資。
この投資はまだまだ続きます。ぼくはこの投資先を成長させます。そしてその先には、ぼくが思い描く、新たな投資が待っています。
本当に楽しみです。
どうやら面白い未来が待ってるよ。