担当編集者は言語化のプロ
こんにちは。マンガ家nikoのパートナー、ぴこつです。
商業誌のマンガ家としてマンガを描いていく上で欠かせないのが「担当編集者」の存在です。
「担当さん」とか「編集さん」などと呼ばれることが多いです。
nikoもこれまでにたくさんの担当編集者の方とお仕事をさせていただいてきました。
もちろん、現在も商業誌でマンガを書いているので、担当編集さんには大変お世話になっております。
まずはこの場を借りてお礼を言わせていただきます。
いつも妻のnikoがお世話になっております。
いつも誠意を持ってご対応いただきありがとうございます!
さて、今日はその担当編集者さん(以下、呼称を「担当編集者」「編集者」とさせていただきます)とマンガ家との間で交わされる内容についてです。
まず、担当編集者の役割ですが、
言語化のプロフェッショナルである。
ということを先にお伝えしておきます。
なぜ、そんな結論になったのか?
をお伝えしていきたいと思います。
編集者とマンガ家の見ている景色は違う
よく編集者とマンガ家はパートナーであると言われます。
ぼくも最初はそう思っていました。
でも最近では、
何年もぼくの側でマンガを描き続けてきたnikoを見てきて、最初に思っていた編集者とマンガ家の関係のイメージとはちょっと違うなと感じています。
最初にイメージしていたのは
『共に歩む存在』
というイメージです。まさに二人三脚。二人で同じゴールに向かって協力しながら走り続ける存在。
「運命共同体」とまでいうとちょっと大げさかな?
でも、それに近いくらいの存在だと思っていたんです。
それが最近は見方が変わってきた。
なぜでしょうか?
理由は主に2つです。
- 担当編集者は一般的に複数のマンガ家を相手にしている
- 担当編集者は必ずしもマンガ家の意向に寄り添うわけではない
ということ。
どういうことかというと・・・
編集者は常に読者を意識しています。
一方で
マンガ家は作品の出来を意識しています。
もちろん、どちらも「読者」と「作品の出来」を考えていないというわけではありません。
比重の問題ですね。
編集者は作品を売ることが仕事です。
少々ドライに聞こえるかもしれませんが、作品が売れること自体がマンガ家の価値を上げることにつながるので、とても重要なことです。
ではマンガ家は。
マンガ家は作品を作ることが仕事です。
なので、
編集者が
「どうすればこの作品が売れるか?」
を追求することはごく自然なことだし、
マンガ家が
「どうすればこの作品が面白くなるのか?」
を追求することも当然なことだと言えます。
マンガ家に思いを伝えるための言語化能力
お伝えした通り、まずは編集者とマンガ家が見ている景色はちょっと違うということを頭にとどめながら・・・
じゃあ、編集はどうやってマンガ家に自分の思いを伝えているのか?
マンガ家が担当編集者にチェックしていただく一番大事な部分は、「ネーム」です。
ネームは、その前の工程である「プロット」(あらすじみたいなもの)が決まってから実際にマンガに落とし込む段階で、あらかじめ決められたページ数の中でページ毎にコマを割っていく作業になります。
そしてその各コマの中に、ある程度の作画と簡単なセリフを書き込むんですね。
そうするとマンガとしての大枠が固まります。
- 話の導入部
- キャラの登場シーン
- 一番見どころのシーン
- オチ
- (連載なら)引き
などが盛り込まるので、作品の1話がどのように展開されていくのかが決まるわけです。
少し大げさにいうと、マンガはこのネーム作業で面白くなるか否かがわかってしまう。
もちろん、この後の作画の段階になるとマンガ家の画力が問われ、絵によって読者が引きつけられかも重要です。
しかし、作画の段階まで言ってしまうと、話の展開自体はもう変更することは困難になる。
仮に、ページ毎のコマ数も決まってしまっているので作画でコマを増減したとしましょう。
すると他のページにまで影響して作品自体のバランスを壊してしまう恐れがあります。
なので、ネームの作業というのはより慎重になり、担当編集者とマンガ家のやりとりも必然的に多くなります。
※やりとりの回数という点では、担当編集者ごとの意向もありますが、ネーム自体がとても重要な工程であるということは変わりありません
そんな中で担当編集者が自分の意向をマンガ家に伝えるためには、言葉のニュアンスも大事になってきます。
コミュニケーションを取る上では、こちらの伝えたい内容がしっかりと伝わらなくては意味がないですよね?
なので、担当編集としては自分の意思が相手に伝わる言葉で伝えなければなりません。
その時に、まず自分の意思を正確に伝えるための言葉を持っているということが重要になってきます。
マンガ家ごとに伝え方は異なる
担当編集者はマンガ家に自分の意思を伝えるためには、自分の意思を言語化しなければいけない。
ですがその時、自分の言葉でしか説明ができなかったとしたら、それはそれで問題が発生します。
それは、
必ずしも相手のマンガ家がその言葉の意味を正しく理解できるとは限らないからです。
当然の話ですが、担当編集者とマンガ家は別人です。
さらに、担当編集者は基本的に複数のマンガ家を担当しており、それぞれのマンガ家も別人です。
しつこいですが、これも当然ですよね(笑)
マンガ家ごとに描いているマンガももちろん違うし、ジャンルやコンセプトも違うかもしれません。
そうした時、全てのマンガ家に同じ言葉を使って話したとしても、人によっては伝わらないかもしれない。
そこには
- そもそも言葉の意味を知らない
- 言葉の持つニュアンスの捉え方が違う
- 他のマンガ家とは意向が違う
などの問題があります。
なので、担当編集者として考えなければいけないのは、
マンガ家ごとに伝え方を変える必要がある
ということです。
特にマンガ家のようなクリエイターは表現者であり、みんな個性豊かなはず。
そんな、マンガ家一人一人に対して、その人ごとの伝わる言葉で説明をするということは、本当に大変なことだと思います。
大体の型が決まったビジネスメールやビジネストークのようにはいきません。
マンガ家ごとの特性を見抜くような力も、担当編集者には必要なのかもしれません。
マンガ家のエゴにどこまで付き合えるか
マンガ家は基本的にエゴイストです。
ちなみにぼくのパートナーのnikoは、そこまでエゴが強い方ではないと思いますw
でも少し弁解をしておくと、柔軟性があるということは言えます。
勝手な想像ですが、nikoの場合は担当編集者の方に近い思想を持っているのかもしれません。
ただ、担当編集者さんのことを信頼しているということなんだと思います。
まぁnikoの話はさておき・・・
マンガ家というのはマンガで自分の意思を表現する人間なので、そこには揺るぎない意思というものが少なからず存在します。
担当編集者がマンガ家と打ち合わせをすると、マンガ家が「ここは譲れない」という場面が出てきます。
その譲れない部分にどこまで歩み寄り、逆に必要によってはマンガ家に譲ってもらわなければならないところもあるでしょう。
そのような場面では編集者とマンガ家の駆け引きのような状況にもなり得ます。
でも、それでいいんだと思います。
お互いの意思を確認し、「良い作品」でなおかつ「売れる作品」を目指すというのは、お互いにとっても納得のいく共通のゴールのはずなんです。
マンガ家以上にマンガを知っている
何度も言っていますが、担当編集者は何人もマンガ家を抱えてお仕事をしているケースが多いです。
そうすると、一人のマンガ家が接しているマンガ制作の場面よりも、担当編集者の方がより多くのマンガ制作の場面に関わっているということになります。
なので、どのように作ったマンガが、どのように世の中に出されているか?
また、どのようなマンガが売れるのか?
ということを、マンガ家よりも経験としてあるわけです。
マンガ家は自分の作品を作り込む時にはその作業に追われることとなります。
もちろん、24時間をそれに費やしているわけではないので、他のマンガを読んだりするようなこともあるでしょう。
それでも、1日の大半を仕事としてマンガを見てきている担当編集者とは、やはり経験の差が大きいです。
しかも、担当編集者は自分の趣味だけで担当するマンガ家を決めているわけではないので、必然的にあらゆる種類にマンガと接しています。
というので、担当編集者はマンガ家よりもマンガのことをよく知っているはずだし、知っていなくてはいけないとぼくは思います。
まとめ
ということで今日のポイントです。
- 編集者とマンガ家は見方は違うけど目指す方向は同じ
- 編集者はマンガ家ごとに伝え方を変えている
- 編集者とマンガ家は意思のすり合わせをしている
- 担当編集さんにはnikoが本当にお世話になっております!
担当編集者とマンガ家がマンガを完成させることを目指しているのは間違いありません。
なので、仕事をする上でお互いがリスペクトして活動していくことが、その作品をいいものにしてくれるのだと思います。
ではまた!