教育

お金の正体

pikotsu

ぴこつです。

太古の昔、「お金」なんてものはなくて、みんな物々交換だった。

それから物どうしだと欲しいものじゃなけりゃ交換できないし、食べ物だと腐っちゃうってんで交換の証として「金(きん)」を渡すことにした。

でも金だと持ち歩くのに重いじゃんってことで誰もが「価値がある」と認める「貨幣(紙幣)」を「お金(おカネ)」として使い始めました。

・・・とかっていう話じゃなくて。

そもそも人はなんで現代では全く価値のない”紙切れ”や“鉄くず”のような「お金」のために、いつも振り回されてなきゃいけないの!?っていうお話。

お金そのものに価値なんてない

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よく聞きますよね?

でも、どうですか?

例えば

財布の中の一万円札 、破り捨てることができますか?
「捨てる」ことまではいかなくても、「破る」くらいならどうでしょう?

きっとそれでもできない人の方が多いと思います。
(ちなみに破っただけの一万円札なら銀行に持っていけば新札に交換してもらえます)

それは、みんなお金に囚われて生きているから。
お金そのものに価値がないにしても、そのお金で物が買える。
それってつまりお金に価値があるって事なんじゃないの?

確かにその通り。

でも

もし買う物が何もなかったとしたら?

その一万円札はただの紙切れのまま。

ずーっと財布の中に仕舞われただけの、ただのお荷物。

それから

一万円札がいつも3枚とか入ってる人。

最初に入れた一万円札は使わずに、補充した一万円札だけを使い続けたとしたら?

やっぱり最初に入れた一万円札もただの紙切れのまま。

この一万円札を破り捨てたところで、本当に困ることがあるんでしょうか?

それにこれまで、紙幣とか貨幣とか、少なくとも目に見えて形のあるお金の話ばかりしてきましたが、みんなのお金、それだけですかね?

きっと財布よりも銀行口座に入っているお金の方が多いでしょ?

しかもそれって

ATMから引き出さない限りは通帳に記入された
形もなければ触れもしない「数字」でしかない。

そんな数字のためだけに人生を振り回されてるのかと思うと、自分が心底情けなくなってくる。

お金がない社会だったら楽なんだろうか

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お金にならない家事をしたり、子どもと遊んだり、妻のマッサージをしたりとかって方がよっぽど人のためになってるはずなのに。

もちろんお金になる仕事をすればその仕事によって助かる人だって多くいる。
でも元をたどればその仕事で価値を与えれる側の人もお金のために仕事をしていて、結局最後はお金って問題にたどり着く。

それに実は

お金にならない仕事って、得てして本当に自分の大切な人のためになることが多いんじゃないか

って、書いてて思った。

とはいえ

現代社会の仕組み上、お金がなければ食べ物も買えないし、家賃だって払えない。どこにも遊びに行けない。

そんなことはわかってる。

それでも釈然としないのは、自分や大切な人の人生を良くしようとして生きているのに、その手段としてまずはお金を稼がなきゃいけないっていうのがどうしても引っかかる。

自分が好きでやり始めて、それがうまくお金につながって、結果それが自分の人生になっているっていう人は本当にすごいと思う。

こんな言い方すると悔しいから本当はイヤなんだけど、正直めっちゃうらやましい・・・。

だけどねそうじゃなくて

やるのは嫌だけど、お金がないと困るから仕方なく自分のため、家族のために働いてる

ってことをしなきゃいけない人生には、もう嫌気が指してます。

やればお金は稼げる。

はっきり言って、ぼくがこれまでの人生でやってきた「ITエンジニア」の業種は、探せばいくらでも仕事があると思う。

でも、つらい。自分にとっては。

これだけはどうしようもない事実。

やりたくない仕事をずっとガマンしてやって、ストレス発散のためにたくさん飲み食いして・・・

てなってしまうのが自分。

その仕事を割り切ってできればどれだけ今までの人生も楽だっただろうかと、最近すごく思います。

そんなことを考えていても前には進めない。

こんなグダグダ考えなきゃいけないのも、やっぱり「お金」ってやつのせいなんですよね。

どうやらまだまだ、ぼくはお金に囚われてる人間ということらしい。

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成人マンガ家の夫 兼マネージャー
成人マンガ家の夫による、妻のプロモーションブログ。マンガ家の生態をお届け。
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