希望は持っても期待はしちゃダメ
こんにちは。
マンガ家nikoのパートナー、ぴこつです。
マンガ家のみなさん、いつも原稿の執筆ご苦労様です!
nikoも〆切に追われ、腱鞘炎と戦いながらもがんばっております。
さて、今日は期待を抱く危険性についてお話しします。
ぼくらは、いつも何かに期待しがちです。
- 誰かに何かをお願いした時
- 応援しているスポーツ選手が試合に出た時
- 子供がテストを受けた時
- 宝くじを買った時
そのすべての期待はぜんぶ間違っています。
期待を持つことをしない
これはぼく自身の人生経験から導き出した一つの答えでもあります。
ぜひ最後までご覧ください。
他人に期待しない
ぼくら人間が生きていく中で、誰かと仕事や生活をともにする場面って必ずありますよね。
そんな時、職場であれば
- 自分の仕事をあの人がやってくれるはず
- お願いした以上の仕事をしてくれるだろう
と期待したり、
一緒に住んでいるパートナーであれば
- 自分が求めている家事をやってくれるはず
- お金のことは全部まかせておけば絶対に大丈夫
と期待していることってないですか?
ぼくも以前はこのような
他人に期待する
ということを無意識にしていました。
でも今はそういう期待を抱く行為をしないようにしています。
それはなぜか。
他人に期待をしていると、例えば家事でも
「やってもらえるだろう」
と勝手に思い込んでいた時、やってもらえなかったら
「なんでやってないんだ」
とこれまた勝手に失望してしまうでしょ?
期待されていた側の人からすると、
実はそんなことは気にもしていないんです。
お願いされたことなら、まだわかります。
でも、実際には同じ人間でもないし、もしかしたら一卵性双生児の双子なら、相手の考えることがわかるのかもしれない(きっとそんなこともない)。
仮にそうであっても、
兄弟だろうと親子だろうと夫婦だろうと、別の人間です。
自分とは違う別の人間が、誰からから受けている期待なんて知るはずもなく・・・
「お互いのことはわかり合っている」
というのは都合のいい幻想の場合がほとんどです。
期待をされた相手からすると、そういった勝手な期待を受けて勝手に失望をされたとしても、困ってしまいます。
それで仮に期待をかけた相手に向かって
「何でしてくれないんだ」
と怒ってしまったとしたら最悪です。
相手には何で怒られているのかもわからないし、一方的に批判されたと受け取って関係は悪化するでしょう。
じゃあどうしたら自分がやってほしいことを他人にしてもらえるんでしょうか?
ていねいに「説明」をするべきでしょう。
- 自分は何に困っている
- 自分にはそれをやる時間がない
- 自分にはそれをする能力がない
- どうしてあなたにやってほしいのか
こういったことを
相手が納得できる言葉で、ていねいに説明する必要があります。
自分の言葉ではなく、相手が理解できる言葉を使うことがポイントです。
その言葉によって自分の気持ちが相手にちゃんと伝わっていれば、その相手は答えてくれるでしょう。
こどもに期待しない
仕事上の付き合いの人や、プライベートのパートナーだけの話ではありません。
それは、自分のこどもであっても同じことです。
どれだけ血縁関係が近かったとしても、やっぱり他人は他人。
※心のつながりとかいう話ではありませんよ。
親には親の考えがあり、こどもにはこどもの考えがある。
中学生のこどもが学校のテストが近いために、テスト勉強をしていたとします。
そのこどもに対して、
「主要教科全部で◯◯◯点以上取ってくれるだろう」
と都合のいい期待を抱いてしまったら、こどもはプレッシャーにしか感じません。
また、テストが終わって自分が勝手に抱いた期待の点数を取れなかった時、
「なんでそんな点数しか取れなかったんだ」
と怒ったり追求してしまったら、これまた最悪です。
こどもからすると
勝手に期待されて
勝手に怒られた
と感じることでしょう。
そして、こどもでもいつか、そんな理不尽な期待を受けていることに気がつきます。
ぼく自身は、テストで特定の点数を目標とすることには意義を感じませんが、仮にその目標をこどもに達成してほしいと思うのであれば・・・
- なぜその点数を取ってほしいのか?
- こどもの人生においてその点数を取ることのメリットは何か?
- どうしたらその点数を取ることができるのか?
を、こどものわかる言葉で、ていねいに説明するべきです。
その説明が自分にできないのだとしたら、そんな期待を抱いてはいけない。
むしろ、その期待が間違っているんです。
自分に期待しない
これは、ぼく独特の感覚かもしれません。
ぼくはとてもズボラな人間です。
やると決めたことは3日しか続かないし、
万が一続けられてもある日突然にやめてしまうし、
苦しそうだと思ったことには手をつけないし、
・・・とまぁ、あげたらキリがないほどのダメな性格です。
そしてとても頭が悪い。
他の記事でもたびたび「ぼくは壊滅的に記憶力がない」と書いています。
これは本当にどうしようもならないくらいに記憶力がない。
そんな自分に、
何かを期待するなんてことできると思いますか?
できるわけないですよ!そんなことw
ぼくは自分のダメさ加減をよく知っているので、自分には何も期待しちゃいません。
そんなぼくでも、過去には自分に期待していた時期がありました。
- ぜったいに自分を変えてやる!
- 今よりもっとお金を稼いでやる!
- これをやれば絶対に人生の勝ち組になれる!
と、なんの根拠もない自信を持って、ただ必死になって何かやろうと苦しんでいた気がします。
ただ、この必死にがんばるやり方が成功する人もいます。
それはきっと性格の問題です。
ぼくは苦しむのが大の苦手です。
苦しいと思った瞬間にやめてしまう。
そんなとんでもなくヘタレな性格なので、自分がそれを続けていくためにはまず自分のことを知って、工夫をしなくてはいけない。
ぼくの出した答えは二つです。
- 楽しくはなくても、やっていて苦にならないことをする
- 毎日がんばってやるのではなく、習慣にする
①については、
きっと自分を変えたくてやることって、楽しいとは限らないと思うんです。
仮に「好きなこと」をやり始めたとしても、続けていくのはどうしても大変で「楽しい」とは言い切れなくなってくる。
でも、楽しいと感じられなくなったとしても、苦しいと感じないことなら続けられるかもしれない。
なので、続けてみて苦にならないことなら、せめて苦しくなるまでは続けてみようかなと思うようにしています。
②については、
毎日、「がんばるぞ!」って意気込んでやると、どこかで疲れてしまうんです。
体調や気分によっても「がんばるぞ!」っていう熱意が湧いてこないこともある。
そうすると、やり始めることすら厳しくなってくる。
なので、ぼくは「がんばるぞ!」と思うことをやめて、とりあえず何も考えずにやり出すことにしました。
意識だけの問題なのかもしれませんが、「意気込む」という行為をやめたおかげで「やる気」の存在を消すことができました。
ただ始めて、なんとなくやってしまうというオートーメーション化に成功したのですw
でも、歯磨きとかってそんな感じじゃないですか?
別に好きなことではないけど、なんとなくやらなきゃいけないことだから歯ブラシを持って歯を磨き始める。
でも磨き始めたら、途中で止めることはないでしょ?
磨き始めたら、なんとなく最後まで磨き切るものです。
それと一緒。この記事を書くのでも、なんとなく書き始めてみています。
そして、最後まで書き切らないと気持ち悪いので、きっと書き切ってくれると思うんです。ダメなぼくでもw
まぁそんなぼくでも、自分のダメな性格を知っているので、どこかで自分のことを信用していません。
「そんなことをして、いつかやめてしまうんだろ?」
という思いも頭の片隅にはあったりします。
そういう自分が出てきてしまわないように、なんとかこの習慣を自分の中に定着させるのが今の自分にとっての課題ですね。
良い結果を期待しない
もう一つ大事なことをお伝えします。
それは「良い結果を期待しない」ということです。
これまでに説明したことって、要するに自分ではコントロールができないことなんです。
(自分自身をコントロールできないのはボクがダメな人間だというだけですが)
そんな、自分ではコントロールできないことに期待を持って、その期待を勝手に「裏切られた」と思って自分が失望する・・・というはただの自分勝手ですよね?
それと同じものとして『結果』があります。
何かに挑戦したことに対する結果は、自分でコントロールすることができません。
ある程度「予想」するということはできるかもしれませんが、でもやっぱり最後は「神のみぞ知る」場合がほとんどなんですね。
そんな結果を期待したところで、自分の期待した良い結果が得られなかったら失望して終わってしまいます。
なので、良い結果は期待するだけ損なんです。
ではどうするか?
結果は期待するものではなく、受け入れるものと考えればいい。
何かに挑戦したとして、その結果を得る場面が来たら、どんな結果が出ようと受け入れる。
そして、その結果に応じて改善するなり、検証するなりして次の挑戦に生かしていく。
それだけでいいんです。
「これだけがんばったから絶対に良い結果が出る!」
は間違いで、
「これだけがんばったからどんな結果が出ても受け入れよう!」
と思うべきです。
期待ではなく希望を持とう
期待をしちゃダメだとしたら、ちょっと人生つまらないですか?
それであれば、希望を持つというのはどうでしょうか。
希望というのは、自分が勝手に望むものです。言い換えれば「妄想」ですね。
妄想というと聞こえは悪いかもしれませんが、でも妄想って自由じゃないですか?
誰になんと言われようと、自分が妄想するのは自分の勝手。
誰かに期待をしてしまうのとは違って、誰にも迷惑もかけません。
誰かに向かって何かを期待してしまうのであれば、
- もし、こんなことをしてくれらうれしいな〜
- もしかしてこんなことをしてもらえてたらラッキーだな〜
何かの結果を期待してしまうようであれば、
- 成功したら、ご褒美に旅行に行こうかな〜
- たくさん売れたら、もっといい家に住みたいな〜
この「〜」の部分に思いのテキトーさ加減を盛り込んでみたんですが、伝わりました!?
要するに、自分の希望することが達成されたあとのことを想像してみる。
そこにはなんなく「ま、ダメだろうけど」みたいなあきらめも含めておきます。
そうすれば自分の思い通りにならなかったとしても、ダメ元なので失望をせずに済みます。
ただ・・・ぼくはこれもあまりしません。
やっぱり「期待」でも「希望」でも、どうしてもダメだったときに失望してしまうんですよね。
ぼくはたぶん、この時の失望感が大きく出てしまう。
基本的にはマイナス思考なので、すごく落胆してしまうんですね、性格的に。
なので、特に希望を持ったりすることもあまりないです。
ただ淡々と、自分がやろうと思ったことをして、人には期待しない。
でも、
自分のためになることを他人にしてもらったら、その人に毎回「ありがとう」を必ず伝える。
そうすることで、その人には「ぼくがしてもらってうれしいこと」を一言で伝えることができるからです。
誰かに何かを期待していたとしたら、期待通りにしてもらえたとしても、たぶん自分の中では当たり前になっちゃってると思うんです。
そうすると、『ありがとう』って言葉が出ない。
「ありがとう」と思われないことを他人にすることって、なかなか難しいです。
なので、自分は誰かや何かに期待せずにただ「待つ」だけにしておいた方が、きっとやってもらえた時やいい結果が出た時の感動も大きいと思うんです。
まとめ
他人や結果に対して期待するというのは、場合によっては良い方に作用することもあるかもしれません。
自分の期待通りのことを誰かにしてもらったら、「この人とはやっぱり心は繋がっている」と絆が深まるかもしれない。
自分の期待通りの結果が出たら、「自分は間違っていなかった」と自信につながるかもれない。
でも、それは「期待通りになった場合」だけのことです。
当たり前ですが、期待は期待なので、いつもそうなるとは限りません。
で、期待通りにならなかった時に失望して相手との関係が悪化したりとか、結果が得られなくて自暴自棄になってしまう・・・なんてことがあったら、それはとてももったないですよね?
なので期待するという行為、考え直してみませんか。というお話でした。
それでは、今日のポイントです。
- 他人は自分とは違う人間
- お願いする時はその人のわかる言葉で説明しよう
- 自分に期待するより前に自分の特徴を知ろう
- 期待したいなら希望するだけにとどめよう
期待せずに、自分がやるべきことをひたすらやっていきましょう。
応援しています!
ではまた。