マンガキャラの属性と人間の属性は別物です
マンガ家nikoのパートナー、ぴこつです。
以前ご紹介した
「キャラを立たせる3つの方法」
は見てもらえましたか??
今回はそちらに関連した内容で、キャラを立たせるための「属性」の話に加えて、
でも実在する人物が持つ属性とはまったく別の物ですよ
っていう話をしたいと思います。
マンガキャラへの属性付与は最初にしよう
「属性」
と聞いてみなさんは何を思い浮かべるでしょうか?
RPGなどのゲームでよく聞くのは
火/水/風/土
などの攻撃属性とかですね。
その属性ごとに弱点があったりして反対の属性攻撃だと大きなダメージを与えられる…
みたいな。
マンガであつかわれる属性は、これとはちょっと違います。
マンガ家は、プロット(あらすじ)を描く際にまず登場人物を決めます。
その時、ただなんとなく
「どんなキャラにしようかなー…」
って悩んで、まったく思い付かない時がけっこうあるんですが、
- 性別
- 年齢
- 誕生日
- 血液型
- 性格
など、登場人物のプロフィールを決めることによってキャラのイメージを作り上げます。
その時のプロフィールをマンガの中で「属性」と呼びます。
ただこの属性、これ!っていう明確な決まりとかはありません。
どこまでを属性と呼ぶのかも個人の自由です。
また、決め方にも個人差があって…
最初の時点で年齢や性格、口グセなどを
ガチガチに決めにかかる人。
その逆で、
あえてあまり固めずに
最低限の特性だけを決めて走り出す人。
など様々なマンガ家がいると思っています。
ぼくがプロットを考える時にやるのは前者の
ガチガチに決めにかかるほうです。
ただ、この属性の決め方には正解とかはなくて、
プロットを書き進める時の考え方の違いだけかなと。
ある程度の属性を決めたら、ふらっと書き出してみて何かイメージと違うとなってから柔軟に変えていく方がいいというも居ますし。
そういう場合、主人公の性別ですら
「やっぱり男に変えよう」
とか大胆に変わってしまう場合もあります。
ただ今回はぼくのガチガチパターンを例に説明を進めます!
マンガキャラの属性はブレないため
そもそも、マンガキャラの属性を決めるのことには、どんな意味があるんでしょうか?
それはマンガキャラのイメージをブレさせないためです。
ぼくは特にキャラを立たせる上ではこの属性がけっこう重要です。
自分の中で性別はもちろん、性格、口グセ、あとは特徴的なしぐさとかも最初に決めてしまいます。
そしてそのキャラを自分の頭の中で明確に登場させるんですね。
そうすると、ボクの頭の中でそのキャラが勝手に動き出します。
プロットを書く時は勝手に動くキャラクターがストーリーを作ってくれる。
それよりもさらにアバウトなストーリーは、これよりも前に決めているので、その展開に合わせるようにキャラを動かす感じです。
その中で動くキャラクターには、やっぱり言動に一貫性がないと
「あれ?このキャラってこんなこと言うかな??」
って迷いが出てきてしまうので、やっぱり最初にガチガチに決めてしまう方がぼくには合っています。
何回も言っていますがこれにも個人差がありまして、途中で
「やっぱり変えたいな」
ってなった時に、ガチガチに決めてしまっていると今度は
「どこから直していこう・・・」
となってしまう場合もあるので、そのあたりは好みなんだろうなと思っています。
ただ、最終的にはどこかの時点でそのマンガキャラが持っている属性を決めることによって、その後のキャラのイメージをブレさせないという目的は同じですね。
人間の属性はその人独自のもの
さて、ここからはマンガキャラとは違う、実際の人間の持つ属性について。
ちょっとマジメな話になっていいですか?
ここのところ、その人の持っている特性に対しての偏見が大きな問題となっていると思っています。
具体的には
- 性別
- 国籍
- 年齢
- 人種
- 肌の色
などです。
よく「差別」という言葉が使われますが、その差別と呼ぶ範囲は近年大きくなっていて、数十年前では常識だったようなことが、今は非常識になっていることもとても多いです。
特に性別の問題では、日本は他の先進国に比べてずっと女性の方が立場が低いとされてきてました。
今でもそんな見方をする人も少なくありません。
ただ、「そういう見方はよくないよね」っていう流れは確実に起きていて、女性の持つ人権の大切さも浸透してきています。
性別以外でも
「最近の若いヤツは」
とか、
「あの国の人間はみんな」
とか。
対象の人物の持つ属性をひとくくりにして批判してしまうようなことは今の時代にそぐわないんです。
『多様性』ってよく言われますがあれって、今はグローバル化が進んで、
「誰でもどこでも行けるようになった」
て言うのと同時に、インターネットによって
「世界中のどの国の情報も簡単に仕入れられるようになった」
ために重要視されるようになったんだと思います。
世界のどこかの国の文化で
いいものは積極的に自国に取り入れる。
そうすることによって、
「自分の国っておかしいんじゃないか?」
と疑問に思う人も増えてくる。
そうすると、「属性」というのは国籍とか性別とかっていうことじゃなくて、あらゆる価値観をそれぞれの人が各々で持っているって考えるのが自然ですよね?
それが多様性なんだと思います。
繰り返しになりますが、何かの属性を取り上げて一括りにしてしまうのはけっこう危険で、それは他の属性を持っている自分も同じように批判されるということも出てきちゃうんですよね。
自分ではない人に何か問題を犯した時に、それを自分に当てはめられるのは心外だなぁってなりますよね。
だとしたら、自分も誰かに向かって「やっぱり〇〇はみんな一緒」みたいなことを言ってしまうのは、やめておいた方がいいかもしれません。
人間の持つ属性は変化する
マンガのキャラが持っている属性は、基本的に変わりません。
やっぱりそのキャラクターの個性がブレてしまうと、ファンも混乱してしまうからです。
作品を通して一貫性がなければ、どこかで「変わってしまったな」って読まれなくなってしまう可能性もある。
そうなってもらっては困るので、キャラクターの属性は最初からなるべく変わることをさせないのが基本かなって思います。
ただ、長く続いているマンガだと時間の概念も持たせてりしているので、年齢とかキャラ自身の考え方が成長するっていうこともあります。
では、人間はどうなんでしょう?
自分のことを過去の自分と見比べてみてください。
きっと大半の人が昔とは考え方が変わったとか、好きなものが変わったとか、なにかしら自分の変化に気づくことがあると思います。
それは、あって当然ですよね?
それが人間です。その時代とか生活環境によって自分は変わっているんです。適合するために。
それなのに、他人のことになると急にそれが受け入れられなくて
「あの人は昔と言っていることがまるっきり違う」
と怒ってしまう人がいます。
しかもその人とはあまり関係がない人がそういうことを言ったりする。
自分に置き抱えてみるとその理不尽さにも気づけるかもしれません。
きっと自分なら
「余計なお世話だよ」
って言いたくなるんじゃないでしょうか。
人間の属性は変化していくもの
それを認めることによって、人は誰かを受け入れられるんだと思います。
人もキャラも自由に生きるために
今回の「属性」についてもう一度整理すると、
マンガキャラの場合、
- 一貫性を持つために属性を変えない
- マンガ家自身の迷いを払うのが属性
- 属性を決める基準はマンガ家ごとに違う
人間の場合、
- 属性は常に変化する
- 属性をひとくくりにして批判するのは危険
- 属性はその人ごとに持っている特徴
ということかなと思います。
ただ、マンガキャラでも人間でも、その人が持っている属性はその人のものであると思うんです。
それを『個性』と呼びます。
マンガのキャラであればその個性を生かしてキャラを立たせます。
それがそのキャラの魅力となっていくんです。
それって、人間でも同じではないでしょうか?
個性を持った人は、やっぱりキャラが立っている。
それがその人の魅力になる。
そういう個性が認められることが、本当の多様性社会なんだと、ぼくは思います。
あれ?
なんだかとんでもなくマジメな〆になってしまった気がする・・・。
これって、ぼくらしくないですね