教育

行動経済学を確かめに行ってくる!

pikotsu

マンガ家nikoのパートナー、ぴこつです。

人間は常に合理的な判断をする生き物・・・

なわけがない。という話です。

実はこの記事を書いている今、ぼくは『赤ブー』イベント会場の近くの民泊施設にいます。

そして、niko先生と共にノートPCをダイニングテーブルに並べています。

どうも、ぴこつ&nikoです。こんばんは。
※よく考えたらいつも自宅リビングという同じ空間に二人で居るので特別なことでも何でもない。

では最初の話題に戻ります…て、なんだっけ…
そうそう、『行動経済学』の話ですよ!

何かものを買う時、ぼくらは合理的な判断のもとに買い物をしているでしょうか?

そもそも合理的な買い物ってなによ

「合理的な買い物」とはつまり、ムダなく本当にお得な買い物のことです。

例えば、液晶テレビを買おうとしています。
同じ商品を別々のお店で見てみました。

すると、

  • A電機店は10万円で売っていました。
  • B電気店は12万円で売っていました。

となったら、迷わずA電気店で買うことを選択しますよね?

2万円も開きがあるならそれはそうだと思います。

これが合理的な買い物です。

つまり、完全な損得勘定です。

少し前の経済学では、このように「人間は合理的な判断をする」という前提のもと、マーケティングが考えられてきたんです。

どんな時でも人間は損得を考え、最終的には損をしない買い物をするという考えです。

しかし、現在はインターネットによりどの店であっても価格が丸わかりの時代です。

言い換えると、お店側も他店がいくらで売っているかもすぐにわかり、価格設定はどこも同じようになってきています。ある商品だけを他店よりも安く売ることもできるし、他の商品は少し高くしておくこともできる。

つまり、ぼくたちは欲しいと思った物の価値を金額だけで考えるとは言い切れなくなっているということです。



現在の市場は昔に比べると以下のような特徴があります。

  • 買いたいと思う物の種類が格段に増えた
  • 価格は簡単に比較することができる
  • 物自体があふれ返って不自由に感じることがない

このような時代になった今、価格だけを判断材料にして合理的な判断することは難しくなってしまいました。

人間は非合理的な判断をする生き物になった

合理的な判断ができなくなった「人間」という生き物は、非合理的に買い物をするようになりました。

というよりも、

お店側が合理的にものを売ることが難しくなった

と言った方がいいでしょう。

物があふれかえって、必要なものがいくらでも手に入るようになってしまった今では、モノやサービスは似たようなものばかりになりました。

でも、それ自体は悪いことではありません。

ぼくらのように買い手(消費者)にとってはそれだけ選択肢が増えたということなので。


ただその結果、僕らはその選択肢をどのように選んでいいのかを自分で判断しなくてはいけなくなりました

モノが増え、一つのお店で複数の種類のものが売られている状況で、昔のようにお店ごと比較するのではなく、一つのお店の中で比較しなくてはならない場面て多いですよね?


おそらく、ぼくとnikoが明日、参加する「赤ブー」イベントでもそういうことはあるでしょう。


たとえば、一つのお気に入りのサークルさんで複数のマンガを売っていた場合、そこには価格差があったりします。

  1. 100円のコピー本新刊
  2. 400円の既刊
  3. 3000円の再録200ページ

というラインナップがあった時、一般参加の方は何を買うでしょうか?

一番ニーズがあるのはやはり①の100円の新刊だと思います。

コピー本というクオリティの低さはあるものの、そのサークルのファンだった場合は期間はすでに手に入れている可能性が高く、新刊が欲しいと思うのは当然です。

しかし①は100円でどう考えてもサークルさんの売り上げとしては低そうです。

でも、ファンであれば当然そのサークルさんを応援したいですよね。

となった時、

「100円の新刊だけでは応援にならないな…」

と思うかもしれません。

でも400円の既刊はすでに手元にある。

そうなると、再録であってもモノとしては新しいし、読み返す時に便利そうな③をお買い上げされる方がいても何ら不思議はありません。


これが「非合理的な買い物」です。

要するに、人は値段や本当に欲しいモノだけが買う対象になるわけではなく、最終的に何を買うか?という問題に対する判断材料は複数存在しているんですよね。

非合理的って人間らしいよね

人間が非合理的な判断で買い物をすることは愚かな行為なんでしょうか?

そんなことは決してありません。

なぜならぼくらが自身の判断のもとに何かを買った場合、それにたずさわるどこかの誰かのためには必ずなっているからです。

自分がいかに得を取るか?

よりも、

自分が応援している人のためなるにはどうするのが正しいのか?

が判断材料となっていて、合理的な買い物をしようなんて考えている人はあまりいません。


でもそれって、なにも悪いことではなくて、

「応援している人のためになっている」

という自己肯定にもなるし、実際にその応援している人のためにはなっています。

モノがあふれかえった現代で、

よりお得なものを買うことを判断材料としてお金を使う。

よりも、

誰かのためになるためにお金をつかうというのは極めて健全な使い道だという見方もできます。
※もちろん、自分が生きることに支障が出るようなお金の使い方はオススメしません。

自分の人生の中で、何が価値なのか?

と考えた時、「あの人のためになることをしたい」と思うのはとても素敵な生き方だとぼくは思います。

ぼくはいつも、『ギブアンドテイク』よりも『ギブアンドギブ』の方が気持ちがいいなと思ってるんですね。

ギブアンドテイクって、つまり相手に見返りを求めているということでしょ?

期待通り、ギブした相手から見返りがあったらまだいいです。
でもその期待って、相手次第なのでどうなるかはわからない。

で、その見返りがないってなった時、自分は「恨み」とか「怒り」とかの負の感情を抱いてしまうんです。

相手に何かを期待するのは自分にとっても健全じゃない

というのがぼくの感覚です。

だけど、誰かに価値を与え続けるギブ&ギブは、回り回っていつか自分のところに何かが返ってきたら面白いなー・・・

くらいの感覚で居られる。

ストレスなく生きていく上ではそのくらいがちょうどいいと思うんです。
そして、誰かに価値を与えた時は自分が気持ちいい。

たとえ自己満足であったとしても、その瞬間の人生は充実しているはずなので。

なので、人間が非合理的な動物だとしても、それはいいことだと思っています。
むしろそこが人間の面白い部分なんじゃないかなと思っています。

どんな売り方をしているのか見てきます

ということで、そんな行動経済学を意識しながら、ぼくはイベントに一般参加で行ってきてみたいと思います。

ちなみに、中学1年生の娘もぼくと行きます。

nikoはサークル参加なので一足早く現地に行って準備をしますが、ぼくと娘の二人は時間を空けて出発です。

中学1年の娘っ子はイベント初体験で、どうやら今回は好きなジャンルもなく少々残念がってはいるものの、クリエイターを目指している娘っ子にとっては、ぼくはイイ経験になると思っているのでそういう楽しみもあります。

今からサークルさんがどんな売り方をしているのかもとても興味深いです!

それでは明日のイベント、張り切って行ってきます!

niko先生もぜひ楽しんでくれるといーなー

イベントの様子はtwitterにてアップされている…かもしれません。

ご興味のある方はそちらもどうぞ!

nikoのtwitter

ぴこつのtwitter

ではまたね!



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成人マンガ家の夫 兼マネージャー
成人マンガ家の夫による、妻のプロモーションブログ。マンガ家の生態をお届け。
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