夫婦感

そのやさしさはウソかもしれない

やさしさ

みんなが勇気をもらったと時々話題になる、本来生えることの難しい環境に生えたド根性たんぽぽの本音を代弁すると、きっと「マジかよ…」だと思っている、ぴこつです。

今のご時世、いろんなところで炎上とか、誹謗中傷とかってギスギスした雰囲気が蔓延している気がします。

そんな中で、ふと『やさしさ』ってなんなんだろう?って考えました。

今日は、ぼくなりの答えをお伝えしたいと思います。

さて、まずは「やさしさ」から連想する、いま思いついたそれらしい言葉を言ってみます。

「他者を思いやること」


なんだか固いし、漠然とししていますね。そもそも「思いやり」の定義もよくわからない。

ということで整理してみます。

やさしさとは想像力

わかりやすい例で、最近はよく話題に上がるようになった「千羽鶴」問題を思い出してみます。

大地震などが発生した時、被災して亡くなってしまわれた方の供養や、復興への願いを込めて千羽鶴を送る人がいました。

そのニュースを見たある人は

「あんなにたくさんの鶴を祈りを込めて一生懸命に折るなんて、とてもやさしい行動だ」

と思ったかもしれません。

もしかしたら、

ある人は「私もやろう!」と思って一生懸命に千羽鶴を折り、被災地に送ったかもしれません。

では、送ってもらった現地の人はどうだったのでしょうか?

懸命に避難した被災者の方々、現地に駆けつけたボランティアの方々が疲弊しているその場所にたくさんの千羽鶴が届き、さぞかし励みになったこと…とはなりませんでした。

この時、届いた千羽鶴を飾る余裕なんてなくて、もっと言うとそんな置き場所もなく、扱いに困ってしまったそうです。

また、ここで一番やっかいなのが、送ってくれた人の気持ちが被災地の方にちゃんと伝わってしまうということなんです。みんな知っています。一生懸命に祈りを込めて折ってくれた人の思いを。

『この善意を無駄にしたら申し訳ない』

だからこそ、「置き場所がないから」と言っても簡単には捨てられない。
そのため、届いてしまった千羽鶴は、何の役にも立たないでお荷物にしかなりませんでした。

ここでの問題はなんだったのでしょうか?

送った人は当然、善意のつもりでやっているんですが、

受け取る人の状況や気持ち、受け取った後のことは何も考えていなかったんだと思います。

だからこそ「相手は喜んでくれるはず」と思って送ってしまった。

千羽鶴を受け取る相手のことがしっかりと想像できていれば、千羽鶴を送るという選択はしなかったはずです。

やさしい虐待

これと似た問題で、「やさしい虐待」があります。

写真家でガン患者の幡野広志さんのこのツイートを見ていただくと伝わるかと。

心が痛みますね。

これも千羽鶴と同じように、言っている本人にとってはやっぱり正義なんですよね。

ただですよ、

「本人にとっては」っていうのがすべてを物語っていて、相手がそれをどう受け取るかは一切お構いなしの状態です。

当人はきっと「ものすごく良い情報を教えてあげた」と思っているでしょう。

そして、ここには千羽鶴よりもさらに厄介な問題が潜んでいます。

千羽鶴の場合は送ってもらっただけなので、少々心は傷んでも、捨ててしまえばそこで終わり(被災地で簡単に捨てられるかどうかは別問題)。

ただ、この身近な人からの代替医療の提案はやらなかったらどうなるか?

善意で言ってきたはずの人から、なぜか怒りを買うんです。

この人の言い分はおそらく

「私が親切に教えてあげたのに、なぜあなたはそれを無視するの!?」

です。

これが本当のやさしさと言えるでしょうか。

そんなはずがありませんよね。

やさしさの意図

ぼくがよく目にする光景からも例を上げてみます。

ぼくは現在、フリーのプログラマーとして、ある会社に電車通勤をしています。

その仕事帰りの駅でのこと。

大きな花束を抱えて電車のホームに向かう方。特に、女性が多い気がします。

あくまで想像ですが、その方が勤めている会社で、送別会などがあったのでしょう。
女性が多いというのは、もしかしたら結婚や出産を機に退職される(もしくは休職される)方だからかなとお思います。

そのお祝いや“はなむけ”としてとしてなのか、おそらくみんなから事前に徴収したお金で花束を買い、帰りにサプライズとして渡さたのかな?と想像しました。

さてその受け取った花束、その方は本当に喜んでくれたのでしょうか?

重ね重ね言いますが、これはぼくの勝手な想像です。

これからその女性は大きな花束を抱え、満員の電車に乗り込もうとしています。

その花束、自分の荷物になるのと同時に、どうしても他の乗客にも当たってしまいます。その当たった乗客の人もどんな人かもわかりません。もしかしたら機嫌の悪い方で、何か言われてしまう可能性だってあります。

さてその状況、花束を渡した会社の人たちは想像できていたでしょうか?

もう一つ思い出した例です。

交通事故を報じるTVのニュースでは、事故の事実を読み上げるバックに悲しげな雰囲気の電柱が映し出されています。その電柱の足元に置かれた大量のジュースやおもちゃ。

あれはいったい誰が片付けるんでしょうか?

片付けてもらえるとしても、花は焼却処分。ジュースであれば栓を開けて、どこかの排水口に流して、空き缶やペットボトルはリサイクルされるのかわかりませんが、にしても少なくともそのコストはかかるわけです。

きっと大半の方はそんなこと頭になくて、あえて言うなら「供えてあげた」自分に酔ってしまっているんじゃないかとさえ思うんです。

もしかすると数日後に自分で回収しようと思っている方も中にはいるのかもしれません。

にしても、もしかしたら風で道路に投げ出されるかもしれないし、ふつうに考えても危ないですよね。

下手をしたら更なる事故を引き起こす可能性だってあります。

そこまで想像して供えられているでしょうか?


という感じで、自分が何のためにそれをするのかという意図も、あらためて考えた方がいいよね。

とぼくは思います。

やさしさの本当の意味

例を挙げればキリがないんですが…

つまりはそれだけやさしさの意味を間違えちゃってる事ってたくさんありそうですよね

ってことなんです。

きっとぼくもやさしさだと思って相手にしたことが、その人にとっては迷惑だったり、後で困らせちゃってることもしていたと思います。自分では気づいていないだけで。

物を渡す物理的なやさしさにしろ、言葉を渡す精神的なやさしさにしろ、考えなければいけないのは、受け取る相手にとって

  • 本当に助けになるのか?
  • 役に立つことなのか?
  • あとで困らないか?

を想像することが、とっても大事だと思います。

その結果、もしかしたら「何もしない」という選択がその人にとって最適なやさしさになるかもしれません。

やさしい未来

冒頭にも触れた通り、今はいろいろとギスギスしていて、とてもやさしさにあふれた時代とは言い難いです。

でも、まずは自分に近い大切な人に対して、本当の意味でやさしくなれたら、それはとってもステキなことですよね。

ぼく自身、パートナーのnikoや娘に対しても、これを機にもっと意識していきたいと思いました。

これを読んでくださっているあなたにも、大切な誰かに本当の意味でやさしくなってもらえたらいいなと思います。

そうやってみんなが近い人たちに対してやさしくなれたなら、めぐりめぐって、きっとやさしい未来が訪れるんじゃないでしょうか。

今一度、やさしさについて考えてみるきっかけになれば幸いです!