教育

幸せのカタチもなにも実体がわからない

pikotsu

ぴこつです。

『幸せのカタチ』とは、
いくらでも聞いたことがあるようなワードだけど、それこそ人間の永遠のテーマですよね?

『永遠のテーマ』というのも耳にタコができるくらいにこれまでに聞いた言葉です。

それらをあえてこの記事にぶち込んで見たのには理由があります。

ぼく自身、幸せのカタチについて特に興味を持つことはありませんでした。

だってそんなの人によって違うのは当たり前で

  • ある人はお金
  • ある人は自由な時間
  • ある人は家族との時間
  • ある人は週末の貴重な休日

とあげればいくらでも出てきますよね?

それ自体もぼくが勝手に想像で言ってるだけであって、本当にそんな幸せが存在するのかどうかも定かではありません。

つまり、カタチも何も自分におとずれる出来事でしか「幸せ」を判断することはできないってこと

(数年前の過去記事だけど、あえて残しています)

ぼくの話をします。

ぼくはブログ内でも何度も言っているんですが、ただいま絶賛無職中でして、会社員や仕事をしていた時代には申し訳ないことですが「幸せ」を親身に感じたことがほとんどありません。

あったとしても忘れてしまっているのでしょう。

そんな中でもしあげるとしたら

  • 妻と結婚できたこと
  • 子供が生まれてきたこと

と、このことについては幸せだったと言い切ることができます。

でも、言い換えるとこれ以外で「幸せだなぁ」と感じたことっていうのは覚えがないんですよ。

無論、仕事に関してもずーっとお金のためだけに無理してやってきたことなので、少なくともそんな中ではありませんでした。

それが

仕事を辞めてからというもの、ものすごく不思議なことに毎日が幸せだと感じるようになったんですよ。

  • 妻や娘とただ一緒にいるだけで幸せ
  • 妻と娘と旅行に行っている時が幸せ
  • 自分で断捨離してスッキリした部屋にいるのが幸せ
  • なんなら家事をしている時間が全部幸せ(主夫の才能!?)

要するにこれまでも普通にあったであろうところに幸せを感じてしまっているんです。
不思議です。自分でもよくわかりません。

だけど、きっと無理をして続けていた仕事が普段の幸せをかき消していたんだろうなってのがわかってきました。

「幸せ」とはカタチじゃなくて実はいつでも存在しているのに、見えていないだけだったんだ。

そうじゃなけりゃ、こんな仕事を辞めた途端に幸せがあらわれるはずがない。

だからね、「自分には幸せなんてない」って思っている人に言いたい。これはぼくもそうだった。

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幸せは起きた瞬間から、いつでもどこでも存在してるんだよ。

足元を見てごらん。

幸せは自分が踏みつけてるだけなんだ。

少し立ち止まって

ゆっくり足を上げて

時には振り返って

自分の歩んできた道を見てみなよ

きっと「幸せってそんなところにあったんだ」って思えるはずだから。

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成人マンガ家の夫 兼マネージャー
成人マンガ家の夫による、妻のプロモーションブログ。マンガ家の生態をお届け。
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