完璧主義は主義なだけで完璧なんかじゃない
こんにちは。
マンガ家nikoのパートナー、ぴこつです。
あなたは、自分の性格を一言で表すとするならどんな性格ですか?
ぼくは「完璧主義」です。
もうちょっと解像度を高く言うと「不器用な完璧主義」です。
すでに論理破綻してしまっているような性格です。
本当にごめんなさい。
ぼくのような矛盾のかたまりみたいな人が存在するかは分かりません。
ですが、
こんな人間も世の中にはいるよ
ということをわかってもらおうと思い今日の記事を書きました。
簡単に言うと
「ただの自己弁護」
ですね。
本当にごめんなさい。
やさしいあなたを信じて続きを書きます。どうか最後まで読んでいってください。
完璧主義者が抱えるジレンマ
完璧主義者って、
とてもストイックで自分に厳しくなんでも完璧にこなす人
みたいな印象を持たれていませんか?
少なくとも完璧主義なぼくは、そんな人間ではありません。
それよりもまずお伝えしておきたいのが、
ぼくが自信を持って自分のことを「完璧主義者」だと言えるのは、自分が完璧ではないからです。
完璧ではないというのは、完璧主義者の自分にとっては相当なコンプレックスです。
でもぼくは自分が完璧にこなせないことを自分で知っています。
なぜならめちゃくちゃ不器用なんですもの。
どうやったって完璧にこなすことができない。
でも完璧にこなしたい。
そこがぼくにとってのジレンマなわけです。
他人は完璧主義者に完璧なんて求めていない
じゃあ完璧主義者ではない人たちが完璧主義者には何かを求めているんでしょうか?
実際には何も求めてなんかいない。
自分で言うのも、ものすごくなんですが・・・
ところでこの「なんですが」の「なん」の部分って漢字で表すものなんでしょうか?
いつも考えてしまいます。
- なん=「何」?
- なん=「難」?
- なん=「軟」?…はないか。
という感じで、どうでもいいところにまで神経を使ってしまうのが完璧主義者たる所以(ゆえん)なんですね。
実にめんどくさい。
話を戻して自分で言うのもなんですが、
どうやらぼくは周りの人たちから
すごくできそうな人
という印象を持たれることが多いみたいなんです。
ここも自分にとってはコンプレックスで、自分は自分のことを不器用な人間だと知っています。
そして頭も悪い。
なのに他人からは下手に期待されてしまっているので、なんとかその期待に応えなければいけない…
と、つい最近まで思っていました。
でも実際はそんな必要がなかった。
理由は、他人はぼくが完璧じゃないことをさほど問題にしていない。
ということがわかったからです。
たとえぼくの不器用がバレたとしても
「ぴこつさんて意外と不器用なんですね」
と言われておしまいなわけです。
むしろそれを面白がってくれる人もいたりする。
それを無理に完璧にこなそうとしていたのは自分の変なプライドだったんだとわかったんですよね。
本当は完璧なんて存在しない
そもそも「完璧」ってなんなんでしょうか?
テストの点数で100点を取ったら、完璧なのかな。
いや、それはテストが簡単だっただけで、100点を取ることにはなんの意味もないかもしれない。
たまたま100点が取れたというだけで、他の問題が出ていたら100点じゃなかったかもしれない。
そういうことを考えていくと、100点満点が完璧だとは言い切れませんよね?
仕事であってもそうです。
営業で1億円の案件を取ってきたとしましょう。
それは完璧でしょうか?
確かに自分の会社の規模からして1億円の売り上げが上げれるとなったら、それはすごいことかもしれない。
だけど、発注した側からしてみたら、場合によってはものすごく安く発注できたと思っているかもしれない。
とすると、自分が完璧だと思っていた仕事は、完璧じゃなかったことになる。
何が言いたいかというと、完璧だと思っていることって、完璧主義者である自分の幻想でしかないということなんです。
自分が完璧だと思ったことの上にはさらなる完璧が実はあって、その上にも完璧が存在する。
・・・と考えていくと、完璧は無限に存在するということに気がつきます。
ここでぼくを含めた完璧主義者の人にとって残念なお知らせです。
完璧など、この世のどこにも存在しません
もしも自分の中で目指している完璧があるとしたら、それはエゴであり、幻想です。
ぼくは40年生きてきて、ようやくそれを受け入れ”つつ”あります。
「つつ」というのがミソで、そこも自分では受け入れているつもりなんです。
ただ、自分でもそうは思っていても完璧にこなせない自分に腹が立ってしまう。
もうそれは完璧主義者の運命みたいなものですw
でも大丈夫。ちゃんと救う方法はあります。
完璧主義者を救うのは自分だけ
完璧主義者が完璧の呪いから解き放たれる方法があるとしたら、
- 完璧は存在しないと認めること
- それでも自分は完璧を追い求めてしまうと認めること
- 完璧主義である自分を許すこと
ぼくはこの3つだと思います。
ぼくの中には「欲求は尽きることがない」という考え方があります。
ぼくが自分の時間、お金、体を使った欲求というのは終わりがないんです。
- 自分の時間をゲームに費やす
- お金を使って儲けようとする
- 食欲を満たすために食べる
この3つはぼくがやってきた欲求を満たすための行動で、過去にそれぞれの行動によってぼくの欲求が満たされることはありませんでした。
それはたぶん、自分が本当に欲しいものではなかったからだと今では思っています。
ぼくの場合は自分が人生でやりたいことがなくて、そんな自分をごまかすためにいろんなことに自分の時間やお金、体を使ってきた。
いわば人生の逃避行動です。
今は、なんとなく自分の人生の中で軽ーくやってみようと思うことがあったりします。
「挑戦」なんて大それたものではなく、ただの実験みたいなものだけどね。
それでも、前みたいに苦しまずにやれている自分にそこそこ満足しています。
そうすると、まずは気がついたら欲を追い求めることが少なくなってましたね。
それから、たまに完璧にこなせなくてイラついている自分を客観的に見て、
「そんなに完璧にできるものなんてないよ」
と考えることもできるようになってきました。
これも完璧にではありません。
まぁでも、それでもいいんです。
完璧なんてものはこの世には存在しないのでw
気がついたら長々と書いてしまいましたが、そんな感じの人間がぼくなので、どうかみなさんよろしくお願いします(?)
(このオチのなさにもほとほと嫌気がさしています)
ではまた!