価値を創造して与えてこそ価値になるよね
マンガ家nikoのパートナー、ぴこつです。
nikoが同人作家時代からそばでずっと見ていると、クリエイターって「価値を生み出してる人」のことだなって思います。
でも実際のところ価値ってなんなんでしょうか?
今日は、
価値は創造するだけじゃなくて与えて初めて価値と言える
というお話です。
「価値」はお金を指すわけじゃない
価値と聞いて真っ先に思い浮かぶのがお金じゃないでしょうか?
価値の「価」って価格の「価」ですもんね。
↑こう書いてみて、なんとなくお屋敷の外を埋める鉄柵に見えてきました。
あ、「柵」っていう字はなんだか「価」にも似てません!?
ふざけすぎてごめんなさい。
さておき、価値を語る上で避けて通れなさそうなお金。
確かにお金には価値がありそうです。
お金さえあればたいていの欲しいものは買えますしね。
でもちょっと待ってください。
いまぼく、
「欲しいものは買える」
って言いましたよね。
それってつまり、最終的に欲しいものってお金じゃなくてその「欲しいもの」の方じゃないですか!?
ということは、価値と聞いてお金を思い浮かべていたけれど、
本当は価値があるのはお金じゃなくて「欲しいもの」にこそ価値があるってことになりそうです。
お金は価値を測るための道具
ぼくが今、あるマンガが欲しいとします。
あなたが今、欲しいものはなんですか?
ちょっと思い浮かべてみてください。
それは、お金を出せば手に入るものですか?
それは、いくらぐらいでしょう。
ぼくが欲しいマンガだと、紙書籍でも電子書籍でも1冊400〜500円程度。
それが例えばマンガじゃなくて最新型のスマホだったとしましょう。
(今、ぼくの手元にスマホがあったので安直に例に出してみました)
スマホだと、ざっくりと10万円くらいですかね。
マンガとスマホだとずいぶんと価格に開きがあります。
で、その物の価格を決める上で使われるのがお金ということです。
これをちまたでは「あたりまえ」と言います!
でもお金を使ってその物の価値を測ることで、それが
「高い」とか「安い」とかていう判断ができるようになる。
つまり、お金自体に価値があるんじゃなくて、お金は価値を測るための道具なんですよね。
価値とは誰かのためになること
次に、お金を使って実際に手に入れるモノやサービスに焦点を当ててみます。
お金は価値を測るための道具に過ぎなかった。
じゃあ手に入れたモノやサービス自体には本当に価値があるんでしょうか?
ものやサービスを手に入れるためにお金を使うのは、プレゼントでなければ基本的にはそれを手に入れたいと願った本人です。
だとしたら、価値があるかどうかは本人にしかわかりません。
買った本人はなぜそのモノやサービスが欲しかったのか?
それに答えがなければ、それには価値がないことになってしまいます。
ただ、その理由についてはどんなことでもいいと思うんです。
例えば、マンガだったら
- そのマンガの絵が気に入ったから
- 面白そうなストーリーだったから
- 原作者の他作品が好きだったから
などが挙げられます。
最新型のスマホなら
- 性能のいいカメラで写真を撮りたいから
- より大きい画面でゲームをやりたいから
- 最新技術を使ったアプリを体験したいから
といったところでしょうか。
大切なのは
そこにしっかりとした動機があるか?
こじつけでもいいんです。
その時にその人が欲した理由がそこにあるのであれば、そこには価値があると言えるでしょう。
人によって価値は異なる
マンガやスマホから得られる価値はさっきあげたようなことでした。
でも、それが誰にでも当てはまるとは限りません。
マンガであればさっきの例とは別に
- 絵はそこそこでもストーリーが面白くないとダメ
- 新人作家さんでも絵に一目惚れしたから欲しい
- 主人公の境遇が自分と重なる
という動機を持つ人もいる。
スマホであれば、
- 手に持ちやすい手頃なサイズ感だから
- 必要最低限の機能しかなくお得だから
- 操作がシンプルだから
となるかもしれない。
このように、「何かを手に入れたい」という動機には人それぞれにかなりのギャップがあり、その人その人で自分の動機に対する回答が得られないのであれば、それには価値はありません。
なので、自分でお金を出して買う分については自分で選ぶことなので「無価値」を拾ってしまうリスクは低い。
でも例えば誰かに何かを与える際には、相手のニーズに答えられるかを慎重に考えて選ばないと、その人にとって無価値のものを提供してしまうリスクがあるので注意が必要です。
価値は与えることだけを考えよう
『ギブアンドテイク』
という言葉があります。日本語にするなら「持ちつ持たれつ」でしょうか。
- 与えたら返してもらう
- もらったなら返す
という考え方ですが、ここには落とし穴もあります。
これを言い換えるなら、
「見返りがなければ何も与えない」
この思考ってけっこう危険で、相手からすると
「あの人は見返りがなければ何もしてくれない」
と見えてしまう。
そうなると、
「あの人はいつも見返りを求めるから、なにもお願いしたくない」
と考えるだろうし、逆に
「あの人からは見返りもないから、こっちも与えようなことはしないでおこう」
となってしまうことも、きっとあると思います。
周囲の人たちにも同じことを吹き込まれてしまうこともあるかもしれません。
そうすると、自分の可能性をどんどんと狭めていくことになるので、相手からの見返りを求めてこちらから何かを与えるというのはやめておいた方が良さそうです。
それよりも
「あの人はなんの見返りも求めずに価値を与えてくれる」
と思われていたほうが、
「何かお返しをしてあげたい」
と相手から自然と価値を提供し返してもらえるかもしれませんし、きっと相手からの信用も得ることにもなるでしょう。
価値は自分から生み出せる人が一番強い
自分以外の誰かに価値を与えるにはどうするか?
方法は二つで
- すでにあるモノやサービスをお金で買って相手に与える
- 自分でその人に合ったモノやサービスを作って相手に与える
です。
すでにあるモノを相手に与える場合、選択肢は限られます。
それに「ハズレ」を引く場合もある。
しかし、2番目のように自分で価値を作り出せる場合、相手にとって本当にタメになるモノやサービスを与えることができる可能性が高いです。
でも仮に、相手の思っていたモノやサービスじゃなかった場合でも、その人のことを思って一生懸命に作ったという熱意は伝わるはずなので、信用は得られる可能性が高いと思います。
だからこそ、クリエイターで価値を生み出せる人というのは、それだけでも価値の高い存在と言えます。
もう答えみたいなもんですが、クリエイターは自身そのものが価値なんです。
もちろん、本気で相手のことを考えた上での作品でなければなりません。
いい加減なモノやサービスを作りだしたとしても、それは相手に伝わってしまします。
その時は、逆に自分の価値を下げることにつながります。
まとめます
今日の「価値の創造」についてポイントをまとめてみます。
- 価値はお金じゃなく、お金で買えるモノにこそある
- 相手のためになってこそ価値があると言える
- 人によって価値の感じ方はさまざま
- 価値は見返りを求めて与えるモノではない
- クリエイターのように価値を創造できる人は貴重
ぼくがクリエイターさんをリスペクトするのは今日の記事のような理由からです。
自身が誰かに価値を提供できるとしたら、とても喜ばしいし、きっと誇りに思うはずです。
クリエイターさんで、ちゃんと誰かにそれを買ってもらえているとしたら、それは少なくともその人には価値を提供できているということなので、自信を持ってくださいね!
応援しています!